2011年7月初旬。私たちはソミュール市から南西に約20キロのル・ピュイ・ノートル・ダムのブドウ畑にいました。高台にあるその畑には真夏の太陽が燦々と輝き、心地よい風が植物や土の香りを運びます。ワインの生まれた畑に立ち、テロワールを身近に感じながら、ワインを味わい、造り手の情熱や誠実に触れる。造り手の名は、「マノワール・ド・ラ・テット・ルージュ」のギヨーム・レイヌアール。最高のシチュエーションで囲む感動のピクニック・ランチ……見渡す限りのブドウ畑、その真ん中に立つ強烈な日差しを遮る木陰のもとでの現地インタビューです。パリのワインマニアの間でも注目の造り手ギヨーム・レイヌアールのワインの秘密に迫ります。
― なぜワイン醸造家の道を選んだのですか。
ギヨーム(以下 G):私は、父が薬剤師、母が医師という家庭で育ち、母のもとに通っていた患者の多くはワイン生産者という環境でした。リセ(フランスの後期中等教育機関で日本の高等学校)で普通教育の過程を送っていた私でしたが、自分に合わないと感じていました。母の姿を見て、母のように医学の道に進むには、さらに勉強が必要だし、自分には向いていないとも思っていたんです。
そこで自分の進路について、母や母のもとに通っているワイン生産者に相談をしました。リセ卒業後の進路を選ぶ学生フォーラムに出かけた段階では、建築またはワインの栽培や醸造の勉強かの選択肢で揺れていたのですが、そんな私に母はアドバイスをしたのです。あなたは外にいることが好きだから、ワイン生産者の道を歩んでみてはどうかと。結果として、私はワイン生産者への道を選びました。
― 今年は本当に畑が乾燥していますね。
G:そうです、畑を見てもらうと解りますが、6月からとても日差しの強い暑い日が続き、水が枯渇しています。今年は、畝に鍬を入れ、雑草を根から引き抜こうと思っています。夏は水分を必要としている雑草が多く、ブドウの樹と雑草を共存させて……と、そんな悠長なことを言っている場合ではないからです。草を掘り起こすと言っても、地表から数センチですから、生態系に影響はなく、虫たちもその環境で生きています。そこに生育・生息している動物や昆虫を守るということがメインであれば、人間が何も手を加えない方が自然生態系を守ることになるでしょう。でも、そうすると畑は森になってしまう(笑)
私の仕事はブドウを栽培することですから、ブドウの生育に必要な手入れとして、最低限手を加えることは必要です。それが自然の循環を活かしたブドウ栽培なんです。
― ビオ栽培に転換したきっかけは何だったのですか?
G:ブドウ栽培やワイン醸造の学校で学んだことは伝統製法に基づく内容でした。例えば、雑草を効率良く駆除するためには農薬を使用するというようなものです。ですから、そのときはビオ農法をしたいという考えには至っていませんでした。ただ、そこで学んだことは、私にとってとても興味深く、楽しいものでしたから、自分の選んだ道が間違っていなかったことを確信したのです。
1995年、ル・ピュイ・ノートル・ダムにブドウ畑を購入し、ブドウ栽培を始めましたが、ほかのワイン生産者と情報交換をしていくうちに、ブドウの栽培はビオが良いのではないかという考えに至りました。その思考は、それまで私が育った家庭での教育から生まれた自由な発想や食生活で育まれた安心で安全な食に対する知識から導かれたものかもしれません。1998年からビオロジック、そして昨年2010年からはビオディナミ農法を取り入れています。
― オーガニックやビオの農作物は日本でもブームになっています。
G:近年ではフランスに限らず、全世界的にエコブームが巻き起こっています。食べものだけでなく、洋服や車、すべての業界で環境に優しい取り組みが行われて、緑の波が押し寄せてきています。その動きは、良い傾向だと思うのです。
しかしながら、オーガニックやビオを売りにした商品が続々と生み出されて、その売り文句だけが意味を持ち初めていることに疑問を感じます。何でもエコという漠然とした社会の流れやブームの影響ではなく、真摯な姿勢で本格的な取り組みとして私はビオロジックからビオディナミへと切り替えました。化学肥料を使用せず、自然の循環を尊重し、健全なブドウを作る、そしてテロワールを表現するワインを造るための最善の選択が、ビオディナミだと思っています。ビオを実践することで、100%何かの力に頼り、どこかに加わるという気持ちはまったくなく、何かに傾倒しようという気持ちもありません。